2011  devotion

愛は人の目を開く

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第1ヨハネ2:11
兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。

 

1.やみの中にある心

(1)知性が腐っている
第2テモテ3:8
また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。
不経験で否定的な知性は、すべてをマイナス思考で捉えてしまう。

(2)怒りと憤りの感情
エペソ4:26
怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
怒りや憤りは、憎しみというわなに捕らわれてしまう。
それは、つまずくことである。

(3)かたくなな意志
使徒19:9
しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。
自己中心や自分を正しいとする者は、かたくなな意志を持っている。

【敬聴】
兄弟を愛さないというやみの歩みは、知性、感情、意志を損なう

2.心の目が見えていない

ヨハネ9:41
イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」

【内容観察】
私は視力障害者ですと認めることができるなら、神は治療して見えるようにしてくださったことでしょう。しかし、見えないのに見えると言い張ることが、視力障害者のまま過ごすことになるのです。

【敬聴】
「見える」と言い張る人の心の問題点を考えてみましょう。

3.『判官贔屓』(ほうがんびいき)が目を開かせる

マルコ6:34
イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。

★『判官贔屓』の意味
弱者や薄幸の者に同情し、味方したり応援したりすること。源義経が、兄の源頼朝にねたまれて滅んだことに、人々が同情を寄せたことからいう。

『羊飼いのいない羊』→その人のあわれむべき状況を見つける

『深くあわれむ』→あわれみが湧き上がってくるほどに、その人のことを深く思いみる。

【敬聴】
私達罪人は、主なる神様から判官贔屓されています。
ですから、互いに判官贔屓し合いましょう。

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