2011  devotion

復活は愛が報われる時

 

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【今週のポイント】

愛に生きたキリストの歩みは、復活によって報われたように、
彼が歩まれたように歩む者も同じように報われる。

第1ヨハネ2:6
神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

1.キリストの歩み

ヘブル12:2
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

(1)『ご自分の前に置かれた喜び』
第1コリント9:24〜25
競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

目標や目的に達する喜び。
十字架は到達直前の苦しみとすれば、復活は到達した喜びと言える。

【敬聴】
(前に置かれた喜びのゆえに、クリスチャン生活を全うする)

(2)『着座された』
第1ペテロ1:3
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

復活にいたるまで愛の歩みを全うされたことに対する報いが与えられたことを意味している。

私達が新生し希望を持つことができたのは、キリストが私達のために最後まで愛を全うされたことを知ることができたからである。

【敬聴】
愛が伝わるためには、最後まで愛を全うすることである。

2.『蹈常襲故』とうじょうしゅうこ

意味=従来のしきたりや方法を受け継いで、そのとおりに物事を執り行うこと。
   「蹈」は踏み行うこと、「襲」は受け継ぐ意。

形を受け継いでそのとおりに行うのではなく、キリストが踏み行われたように、互いに愛しあうことを受け継ぐのである。

(第1ペテロ2:20〜21)
罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

【敬聴】
キリストの歩みを通して、どのように『蹈常襲故』に心掛ければようでしょう?

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