2009  devotion

一望千里 いちぼうせんり

風景が広々としていること

 

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第2コリント5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

だれでも、主イエス・キリストを信じるなら、その人は「過去を赦し」「今を受け入れ」「未来を望む」という『一望千里』の人生が与えられています。

1.過去を赦す

第2コリント5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

1) 「キリストのうちにある」とはキリストの救いを受け入れて、罪が赦された人のことです。

2) 神様の御前に「罪が赦された」という出来事は、『一望千里』の風景を目の当たりにするような素晴らしい出来事です。

3) ノアが見た『一望千里』
創世記8:4、14〜18
箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。
第二の月の二十七日、地はかわききった。そこで、神はノアに告げて仰せられた。「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」

箱舟から出たノアの気持ちを考えてみましょう。

4) ノアは、十字架の象徴である祭壇を築き、礼拝した。
創世記8:20
ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。

いけにえをささげ、礼拝したノアは、何を感じ取っていたのでしょう。

5) 神は、ノアのいけにえを受け入れられ罪を赦された。
創世記8:21
主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。

『赦し』とは過去を切り離し、清算できたことを表します。それは、最初からやり直しができる希望を持つことなのです。

2.今を受け入れる

第2コリント5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

1) 「新しく造られた者」とは、キリストの救いを受け入れることによって神の御前に義とされた、今の自分を受け入れることです。

2) 義人として神の御前に新しい人生を歩むことができるとは、『一望千里』の風景を目の当たりにするような素晴らしい出来事です。

3) アブラハムが見た『一望千里』
創世記13:14〜15
ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。

アブラハムは北と南、東と西を見渡せるところに立っていました。その『一望千里』の光景を見て何を思ったことでしょう。

4)

約束を手に入れるための条件
創世記13:17
立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。

この条件を聞いたアブラハムの心には、どのような思いがあったのかを、自分に当てはめて考えてみましょう。

5)

約束を信じ、今の自分を受け入れた証としての祭壇
創世記13:18
そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。

十字架の象徴である祭壇が成就したことによって、神の約束が確かなものとなりました。現実を受け入れながら未来を見ることが出来ます。

3.未来を望む

第2コリント5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました

1) 「すべてが新しくなりました」とは、キリストの死と葬りと復活によって与えられた新しい人生の未来が、希望にあふれているという意味です。

2) 新しくされる毎日は、『一望千里』の風景を見たときのような新鮮な気持ちで始めることができるのです。

3)

モーセが見た『一望千里』
申命記32:48〜49
この同じ日に、主はモーセに告げて仰せられた。「エリコに面したモアブの地のこのアバリム高地のネボ山に登れ。わたしがイスラエル人に与えて所有させようとしているカナンの地を見よ。

エジプトを出て40年以上。『一望千里』の光景を見たモーセは、何を思ったことでしょう。

4)

神からの死の宣告
申命記32:50、52
あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に加えられたように、あなたもこれから登るその山で死に、あなたの民に加えられよ。
あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へはいって行くことはできない。

死の直前に約束の地を見ながら、モーセはどのような未来を見ていたと思いますか。

福音は、神の恵みの最高峰です。そこからの『一望千里』の光景は、私たちに感無量をもたらします。それは過去から解放され、恵みのうちにある自分を感謝し、永遠の未来を望み見る喜びの人生です。
第2コリント5:17のみことばは、あなたに『一望千里』の未来を見せてくれることでしょう。

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