2007  devotion

為而不恃 なしてたのまず
何かを行なった場合に、その成果を期待し頼りとすることがないこと。
行為において結果を当てにしない。

 

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詩篇32:5〜6
私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。

7月2日(月)〜7月7日(土)
下記のポイントから自由にデボーションしてください。


私たちは、どのような時に、どのような祈りをしているでしょうか。『祈り』は神への請求書でしょうか。または投書でしょうか? 正しく『祈り』を捉え、神とともに歩む人生としましょう。

1.聖徒はどうして皆、主に祈るのでしょう。

1) 罪を赦してくださったので祈るのでしょうか。
主は、罪の内容を聞かれて赦されたのでしょうか。

2) あなたの祈りに対して、神からの応答が意に添わないものであったなら、あなたの心はどのように反応しますか。

3) 祈りは『為而不恃』であるとは、どういう意味になるでしょう。

2.祈りを正しく捉えた人の祈り

箴言15:8
悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。正しい者の祈りは主に喜ばれる。

1)

『時』をわきまえで祈るとは?
詩篇69:13
しかし主よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。

  「みこころの時に」ついて考えましょう。

2)

『香』のような祈りとは?
詩篇141:2
私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。

  「香」とは心をなだめるものです。

3) 『祈り』についてどのようなことに気づきましたか?

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