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レビ記5:14〜15
ついで主はモーセに告げて仰せられた。「人が不実なことを行ない、あやまって主の聖なるものに対して罪を犯したときは、その罪過のために、羊の群れから傷のない雄羊一頭、聖所のシェケルで数シェケルの銀に当たるとあなたが評価したものを取って、罪過のためのいけにえとして主のもとに連れて来る。■主の聖なるものに対する罪
新約聖書より適用
マタイ23:23
忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。律法は聖なるもの(ローマ7:12)
その中ではるかに重要なことはその精神です。
律法の精神をおかすことのないようにしましょう。
レビ記5:16
彼は、その聖なるものを犯した罪の償いをしなければならない。それにその五分の一を加えて、祭司にそれを渡さなければならない。祭司は、罪過のためのいけにえの雄羊で、彼のために贖いをしなければならない。その人は赦される。■聖なるものへの罪の償い
新約聖書より適用
第二コリント8:1〜4
さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。償う=埋め合わせをすること
罪を赦していただいたことに対する埋め合わせを忘れるような恩知らずになりたくないですね。
レビ記5:17〜19
また、もし人が罪を犯し、主がするなと命じたすべてのうち一つでも行なったときは、たといそれを知らなくても、罪に定められ、その咎を負う。その人は、羊の群れからあなたが評価した傷のない雄羊一頭を取って、罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来る。祭司は、彼があやまって犯し、しかも自分では知らないでいた過失について、彼のために贖いをする。彼は赦される。これは罪過のためのいけにえである。彼は確かに主の前に罪に定められた。」■過失の罪
新約聖書より適用
第1テモテ1:13
私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。
過失だからといって罪の処罰が免れるわけではありません。
神は私たちの過失に対する代価も支払ってくださったのです。レビ記6:1〜7
ついで主はモーセに告げて仰せられた。「人が主に対して罪を犯し、不実なことを行なうなら、すなわち預かり物や担保の物、あるいはかすめた物について、隣人を欺いたり、隣人をゆすったり、あるいは落とし物を見つけても、欺いて偽りの誓いをするなど、人が行なうどれかについて罪を犯すなら、この人が罪を犯して罪に定められたときは、そのかすめた品や、強迫してゆすりとった物、自分に託された預かり物、見つけた落とし物、あるいは、それについて偽って誓った物全部を返さなければならない。元の物を償い、またこれに五分の一を加えなければならない。彼は罪過のためのいけにえの日に、その元の所有者に、これを返さなければならない。この人は主への罪過のためのいけにえを、その評価により、羊の群れから傷のない雄羊一頭を罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来なければならない。祭司は、主の前で彼のために贖いをする。彼が行なって罪過ある者とされたことのどれについても赦される。」■不実も罪
新約聖書より適用
第1ヨハネ4:11
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。信頼をなくするような不実の罪をおかしたなら、どのようにして信頼を取り戻すことができるでしょう。
神の愛に対する真実さを償いをもってあらわし、それ以上の犠牲が必要なのではないでしょうか。
レビ記6:8〜13
ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンとその子らに命じて言え。全焼のいけにえのおしえは次のとおりである。全焼のいけにえそのものは、一晩中朝まで、祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。祭司は亜麻布の衣を着なさい。また亜麻布のももひきをその身にはかなければならない。そして、祭壇の上で火が焼き尽くした全焼のいけにえの脂肪の灰を取り出し、祭壇のそばに置きなさい。祭司はその装束を脱ぎ、別の装束を着けて、脂肪の灰を宿営の外のきよい所に持ち出しなさい。祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。かえって、祭司は朝ごとに、その上にたきぎをくべ、その上に全焼のいけにえを整え、和解のいけにえの脂肪をその上で焼いて煙にしなさい。火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。■一晩中祭壇の火を絶やさない
新約聖書より適用
第二テモテ4:2
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。夜は眠ってしまうものです。
罪という闇夜の世界の中で福音の火を絶やさないように、
あらゆる機会を用いて神の愛を証ししていきましょう。レビ記6:14〜17
ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンとその子らに命じて言え。全焼のいけにえのおしえは次のとおりである。全焼のいけにえそのものは、一晩中朝まで、祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。祭司は亜麻布の衣を着なさい。また亜麻布のももひきをその身にはかなければならない。そして、祭壇の上で火が焼き尽くした全焼のいけにえの脂肪の灰を取り出し、祭壇のそばに置きなさい。祭司はその装束を脱ぎ、別の装束を着けて、脂肪の灰を宿営の外のきよい所に持ち出しなさい。祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。かえって、祭司は朝ごとに、その上にたきぎをくべ、その上に全焼のいけにえを整え、和解のいけにえの脂肪をその上で焼いて煙にしなさい。火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。■一日中祭壇の火を絶やさない
新約聖書より適用
第1テサロニケ5:8
しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。昼の者として祭壇の火である信仰と愛を心にあつく燃やし続けましょう。
十字架にあらわされた神の熱い愛の炎を聖霊の満たしによって燃やし続けようではありませんか。
レビ記6:16〜18
穀物のささげ物のおしえは次のとおりである。アロンの子らは祭壇の前でそれを主の前にささげなさい。すなわち、その中から穀物のささげ物のひとつかみの小麦粉と油を取り出し、穀物のささげ物の上の乳香全部といっしょに、この記念の部分を、主へのなだめのかおりとして祭壇の上で焼いて煙にしなさい。その残った分は、アロンとその子らが食べることができる。それを聖なる所で種を入れないパンにして食べなければならない。それを会見の天幕の庭で食べなければならない。これにパン種を入れて焼いてはならない。わたしは、それを火によるささげ物のうちから、彼らの分け前として与えた。それは罪のためのいけにえや罪過のためのいけにえと同じように、最も聖なるものである。アロンの子らのうち、男子だけがそれを食べることができる。これは、主への火によるささげ物のうちから、あなたがたが代々受け取る永遠の分け前である。それに触れるものはみな、聖なるものとなる。」■祭司に与えられた分け前
新約聖書より適用
第1コリント10:21
あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。小麦粉(イエス・キリストを象徴)は祭司の食物として与えられた。
祭司=神と直接交わりを持つことができる人
レビ記6:19〜23
ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンとその子らが、その油そそがれる日に、主にささげるささげ物は次のとおりである。小麦粉、十分の一エパを常供の穀物のささげ物とする。半分は朝、他の半分は夕方の分である。それを油でよくこねて平なべの上で作らなければならない。それを、粉々にした焼いた穀物のささげ物として持ってはいらなければならない。主へのなだめのかおりとしてささげなければならない。さらに、彼の子らのうち、油そそがれて、彼の跡を継ぐ祭司は、このことをしなければならない。永遠の定めによって、それを主のために完全に焼いて煙にしなければならない。このように、祭司の穀物のささげ物はすべて全焼のささげ物としなければならない。これを食べてはならない。」■任命のためのささげ物
新約聖書より適用
ヘブル13:15
ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。祭司=主と直接交わりができる者
祭司であることの恵みを忘れないように、朝夕にいけにえをささげる。
神様との特別な関係は、イエス様の十字架ゆえです。
レビ記6:24〜25
ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンとその子らに告げて言え。罪のためのいけにえに関するおしえは次のとおりである。罪のためのいけにえは、全焼のいけにえがほふられる場所、主の前でほふらなければならない。これは最も聖なるものである。■主の前でほふられる
新約聖書より適用
ヘブル9:27〜28
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。罪の裁きは神のみ前でなされる。
十字架のあがないは、神のみ前でなされた私たちの罪のための裁きです。レビ記6:26
罪のためのいけにえをささげる祭司はそれを食べなければならない。それは、聖なる所、会見の天幕の庭で食べなければならない。■罪過のいけにえを食する
新約聖書より適用
第1コリント1:18
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。罪過のいけにえにあらわされた神の愛は私たちの生きる力です。
レビ記6:27〜28
その肉に触れるものはみな、聖なるものとなる。また、その血が少しでも着物の上にはねかかったときには、あなたは、そのはねかかったものを聖なる所で洗わなければならない。さらにそれを煮た土の器はこわされなければならない。もしそれが青銅の器で煮られたのであれば、その器はすりみがかれ、水で洗われなければならない。■はねかかった血を洗う
新約聖書より適用
ガラテヤ3:13
キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。罪ののろいの一切をイエス様が受けてくださった血潮。
罪ののろいとはいっさい関わりたくないものです。レビ記6:29〜30
祭司たちのうち、男子はみな、これを食べることができる。これは最も聖なるものである。しかし、聖所での贖いをするためにその血が会見の天幕に持って行かれた罪のためのいけにえは、食べてはならない。これは火で焼かれなければならない。■会見の天幕にもってゆかれた血
新約聖書より適用
ヘブル9:25
それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所にはいる大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。まことの聖所で務めをしておられるイエス様は、私たちの希望です
レビ記7:1〜8
罪過のためのいけにえのおしえは次のとおりである。これは、最も聖なるものである。罪過のためのいけにえは、全焼のいけにえをほふる場所で、ほふらなければならない。 そして、その血を祭壇の回りに注ぎかけなければならない。それから取った脂肪を全部、すなわち、あぶら尾と内臓をおおう脂肪、二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とをささげなければならない。祭司は、それらを祭壇の上で主への火によるささげ物として、焼いて煙にしなさい。これは罪過のためのいけにえである。祭司たちのうち、男子はみな、それを食べることができる。それを聖なる所で食べなければならない。これは最も聖なるものである。罪のためのいけにえと罪過のためのいけにえについてのおしえは一つである。そのいけにえはそれをもって贖いをする祭司のものとなる。■全焼のいけにえの皮は祭司のもの
新約聖書より適用
ローマ13:14
主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。皮は高級な生活必需品。
キリストを着なさい。
キリストのみ足の跡を歩む。地上で歩まれたキリストの人生を模範とする。レビ記7:9〜10
さらに、かまどで焼いた穀物のささげ物全部、およびなべや平なべで作られたものはみな、それをささげる祭司のものとなる。また、穀物のささげ物で油を混ぜたものも、かわいたものもみな、ひとしくアロンの子ら全員のものとなる。■穀物のささげ物はすべて祭司のもの
新約聖書より適用
コロサイ3:11
そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。みことばであるキリストは私たちのもの。
キリストこそ私たちのすべて。レビ記7:11〜14
主にささげる和解のいけにえのおしえは次のとおりである。もし、それを感謝のためにささげるのなら、感謝のいけにえに添えて、油を混ぜた種を入れない輪型のパンと、油を塗った種を入れないせんべい、さらに油を混ぜてよくこねた小麦粉の輪型のパンをささげなければならない。なお和解のための感謝のいけにえに添えて、種を入れた輪型のパンをささげなさい。そのうちから、おのおののささげ物の一つを取って、主への奉納物として、ささげなければならない。これは、和解のいけにえの血を注ぎかける祭司のものとなる。■和解の感謝のささげ物
新約聖書より適用
ローマ5:11
そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。
神との友情、平和、交わりの回復を意味する和解のいけにえは、大きな感謝がもたらされる。
神との和解は、聖霊(油)とみことば(パン)によってなりたっている。レビ記7:15
和解のための感謝のいけにえの肉は、それがささげられるその日に食べ、そのうちの少しでも朝まで残しておいてはならない。■感謝のいけにえの肉はその日の内に食べる
新約聖書より適用
第1テサロニケ5:18
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。神との和解に対する感謝は、毎日新しい気持ちをもって味わうことです。
レビ記7:16
もしそのささげ物のいけにえが、誓願あるいは進んでささげるささげ物であるなら、彼がそのいけにえをささげる日に食べなければならない。残った余りを、翌日食べてもさしつかえない。■和解による誓願のささげ物
新約聖書より適用
第1ヨハネ5:14
何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちのような未熟な者の決心や約束を信じてくださるのは、和解が成立しているからです。
レビ記7:16
もしそのささげ物のいけにえが、誓願あるいは進んでささげるささげ物であるなら、彼がそのいけにえをささげる日に食べなければならない。残った余りを、翌日食べてもさしつかえない。■和解による自発のささげ物
新約聖書より適用
第二コリント8:3
私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、自分の正直な気持ちを自分なりに表現して伝えることができるのは、和解が成立しているからです。
レビ記7:17〜18
いけにえの肉の残った余りは三日目に火で焼かなければならない。もし三日目にその和解のいけにえの肉を食べるようなことがあれば、それは受け入れられず、またそれをささげる人のものとは認められない。これは、汚れたものであり、そのいくらかでも食べる者はその咎を負わなければならない。■いけにえの肉は三日以上残してはならない
新約聖書より適用
ローマ8:23〜24
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。イエス様の肉体は、三日間、墓の中に置かれ、栄光のからだによみがえられた。
私たちもこの罪の肉体から解放されることを待ち望んでいるのです。
レビ記7:19〜24
また、何であろうと汚れた物に触れたなら、その肉は、食べてはならない。それは火で焼かなければならない。その他の肉ならば、きよい者はだれでもその肉を食べることができる。人がその身の汚れがあるのに、主への和解のいけにえの肉を食べるなら、その者はその民から断ち切られる。また、人が、何であろうと汚れた物に、すなわち人の汚れ、あるいは汚れた動物、あるいはすべて汚れた忌むべき物に触れていながら、主への和解のいけにえの肉を食べるなら、その者はその民から断ち切られる。」■汚れた身で和解のいけにえの肉を食べてはならない
新約聖書より適用
第1テサロニケ4:7
神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。汚れを行わせるために和解のいけにえがあるのではない。
与えられた和解によって放縦な者にならないように気をつけたいものです。レビ記7:22〜25
ついで主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。あなたがたは、牛や、羊、あるいはやぎの脂肪をいっさい食べてはならない。死んだ動物の脂肪や野獣に引き裂かれた動物の脂肪は、何に使ってもさしつかえない。しかし、決してそれを食べてはならない。すべて、火によるささげ物として主にささげる動物の脂肪を食べる者、これを食べる者は、その民から断ち切られるからである。■動物の脂肪を食べてはならない
新約聖書より適用
ユダ25
すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。脂肪=最良のもの、繁栄、栄誉
すべての栄光は神のもの。偉大なお方に最良の物をささげる敬虔な心をもちましょう。レビ記7:26〜27
また、あなたがたのどこの居住地においても、鳥でも動物でも、その血をいっさい食べてはならない。どんな血でもこれを食べる者はだれでも、その者はその民から断ち切られる。」■血をいっさい食べてはならない
新約聖書より適用
第1テサロニケ4:3〜6
神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。なぜなら、主はこれらすべてのことについて正しくさばかれるからです。これは、私たちが前もってあなたがたに話し、きびしく警告しておいたところです。血=命=誠実の心→それは神が喜ばれ、生かされる心
人の命を食い物にして、自分の利得にする貪欲なものとならないようにしましょう。レビ記7:28〜30
ついで主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。和解のいけにえを主にささげる者は、その和解のいけにえのうちから、そのささげ物を主のところに持って来なければならない。その者は、主への火によるささげ物を、自分で持って来なければならない。すなわち彼は、その脂肪を胸に添えて持って来なければならない。そしてその胸を奉献物として主に向かって揺り動かしなさい。■奉献物の胸を主の前で揺り動かす
新約聖書より適用
ヨハネ13:34〜35
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」胸を揺り動かす→みこころをうけとめる
キリストが私たちに望んでおられる神のみこころは何でしょうか。
レビ記7:31〜38
祭司はその脂肪を祭壇の上で焼いて煙にしなさい。その胸はアロンとその子らのものとなる。あなたがたは、あなたがたの和解のいけにえのうちから右のももを、奉納物として祭司に与えなければならない。その右のももは、アロンの子らのうち、和解のいけにえの血と脂肪をささげる者の受ける分として、その人のものとなる。それは、わたしが、奉献物の胸と奉納物のももをイスラエル人から、その和解のいけにえのうちから取って、それを祭司アロンとその子らに、イスラエル人から受け取る永遠の分け前として与えたからである。」これは、モーセが彼らを近づけて、祭司として主に仕えさせた日から、アロンとその子らが、主への火によるささげ物のうちから、受ける分であって、それは、彼らが油そそがれた日から永遠のおきてとして、代々イスラエルの人から取って彼らに与えるよう、主が命じられたものである。これは、全焼のいけにえ、穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえ、任職と和解のいけにえについてのおしえである。これは、モーセがシナイの荒野でイスラエル人に、そのささげ物を主にささげるよう命じた日に、主がシナイ山でモーセに命じられたものである。■奉納物の右のももは祭司のもの
新約聖書より適用
第1ペテロ2:21
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。右のもも→力強い歩み
祭司の人生は、キリストの御足の跡に従う人生
レビ記8:1〜6
ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンと彼とともにいるその子らを連れ、装束、そそぎの油、罪のためのいけにえの雄牛、二頭の雄羊、種を入れないパンのかごを持って来、また全会衆を会見の天幕の入口の所に集めよ。」そこで、モーセは主が命じられたとおりにした。会衆は会見の天幕の入口の所に集まった。それで、モーセは会衆に言った。「これは主が、するように命じられたことである。」それから、モーセはアロンとその子らを近づかせ、水で彼らを洗った。■祭司の任命のためにアロンとその子らが呼ばれる
新約聖書より適用
ヨハネ1:13
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。アロンの家系が祭司の役職を受け継いだ。私たちはキリストの家系に生まれた神に仕える祭司です。神によってキリストの家系に生まれたことの素晴らしさを考えてみましょう。
レビ記8:7〜9
そして、モーセはアロンに長服を着せ、飾り帯を締めさせ、その上に青服をまとわせ、さらにその上にエポデを着けさせた。すなわち、エポデを帯で締め、あや織りのエポデをその上に着けさせた。次に、モーセは彼に胸当てを着けさせ、その胸当てにウリムとトンミムを入れた。また、彼の頭にかぶり物をかぶらせ、さらにそのかぶり物の前面に、金の札すなわち聖別の記章をつけさせた。主がモーセに命じられたとおりである。■大祭司の衣
新約聖書より適用
コロサイ3:1
こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。大祭司は復活のイエス様の姿です。その衣は、大祭司の力と栄光を現しています。キリストのからだとしてともによみがえられた私たちの求めるものを考えてみましょう。
レビ記8:10〜12
ついで、モーセはそそぎの油を取って、幕屋とその中にあるすべてのものに油をそそいだ。こうしてこれらを聖別した。さらにそれを祭壇の上に七たび振りかけ、祭壇とその用具全部、また洗盤とその台に油をそそいで、これらを聖別した。また、そそぎの油をアロンの頭にそそぎ、油をそそいでアロンを聖別した。■油注ぎの聖別
新約聖書より適用
第1ペテロ1:2
父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。御霊による聖別は、自らすすんでキリストに従うものに与えられるもの。キリストに従うことを一番の喜びとしているでしょうか。その人は、きっと聖霊に満たされておられることでしょう。
レビ記8:13
次に、モーセはアロンの子らを近づかせ、彼らに長服を着せ、飾り帯を締めさせ、彼らにターバンを巻きつけさせた。主がモーセに命じられたとおりである。■祭司の衣
新約聖書より適用
ガラテヤ3:27
父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。キリストを着るとはどういうことかを考えてみましょう。
レビ記8:14〜15
ついで彼は罪のためのいけにえの雄牛を近寄せた。 サ、志を一つにしてください。
目的が実現されるために心を一つにし ス9 &