■2022年6月26日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
みことばを豊かに住まわせる up 2022.6.26
今日は「みことばを豊かに住まわせる」というテーマでお話をしていきます。 キリストの霊(御霊)が私たちの内に満ちておられるということは、みことばがあなた方の内に豊かに住んでおられるということと同じです。 日々みことばで満たされる 〇パン→毎日食するもの=健康 みことばの食生活を充実させる 食事を毎日欠かさず楽しく頂くように、毎日神の口から出る一つ一つのことば、心に残ることば、気になる示されたことばを、しっかり心で味わうことが大事です。 私(辻牧師)は、かつては聖書をじっくりゆっくり味わって読むというのが習慣でした。しかし、それでは栄養が偏るのではないか、それより聖書を量多く読み流して、バランスのとれたみことばを心に受け止めていき、みことば全体から栄養を受ける方がよいということに気が付きました。 そこで5年前から、毎日10章読み流し、気になるところは後で黙想し祈りの中で悟らせて頂くというようにして、4か月に一回読み通すことを目標に、一年に三回読み通すという読み方に変えました。 全然覚えていなくても構いません。繰り返し読んでいけば、気になるところが心に残ってきます。みことばを多く心に触れていくと、知識ではわかってもわからなくても、聖霊様が必ず光輝くみことばを霊、魂に与えてくださいます。 じっくり読むにしても読み流すにしても、大事なことは、神の口から出るひとつひとつのみことばによって生きることです。量でもなく深さでもなく、毎日食事を頂くように、みことばを心の糧として毎日いただき、毎日、味わい満たされ満足するような読み方を工夫されてはいかがでしょうか。からだのいのちのためだけでなく、魂のいのちのためにも考えてみてください。 〇一つ一つ→状況に合わせたみことば 日々みことばに満たされることにチャレンジしてください。 ◎中核をなすみことば 〇(箴言1:7) 〇(箴言9:10) 〇コロサイ3:20 もしそう出来なかった子どもがいたなら、それは親が良い証しを立てていなかったかもしれません。反抗期はやむ負えない時期です。それでも神を信じ子どもを信じて愛し続けていくならば、必ず子どもは大人になったとき、尊敬を持って親孝行するようになります。 主なる神を敬う証として私たちは、神を敬うならば、両親も敬うべきです。 ◎十戒より(出エジプト20:12) 「主が与えようとしておられる地」とは、イスラエルにとってはパレスチナの地ですが、それは神の国の象徴としても語られています。ですから、この戒めは、父と母を敬うことを通して、神の国で永遠に平安に過ごすことができるという約束を表しています。 (コロサイ3:20)の「両親に従いなさい」というのも、ここから来ています。主を畏れることは、造り主を畏れることです。私たちを生み出してくださった神を畏れ敬うのであれば、両親もあなたを肉体的に生み出してくださったのだから敬いなさい、親を敬うことは命の息を吹き込んでくださった神を敬うことになるということです。 肉親の親は不完全なので敬いにくい所もあるかと思いますが、聖書には悪い主人であっても従いなさいとあります。そのつけは神様が全部報いてくださるので、神様にゆだねて主の導きを頂くように致しましょう。主を畏れて両親を敬い従っていけば、神様は祝福として神の国を受け継ぐ者として、あなたに報いてくださるというのが、(コロサイ3:20)と(出エジプト20:12)との関連するところです。 「主を畏れる」という中核のみことばを悟っていないと、私たちはご利益宗教へと流れて行ってしまいます。自分の利益となることしか神さまを信じようとしません。 私たちの願っていないところを、神様は私たちに通らせられることがあります。それは永遠のいのちにいたるためのご計画を私たち一人一人に持っておられるので、私たちが嫌だと思うようなことでも、私たちのために無言で試練を与えることをなさるのです。 【デボーションポイント】 〇悪を憎むこと(箴言8:13) 〇善と悪に報いる主権者を認めること(第2コリント5:9∼11) 欲求と、主を畏れる正しい良心との間で、葛藤が生じる場面において、どちらに従うのかは、あなたの判断です。たとえ失敗することはあっても、悔い改めてやり直しチャレンジする心を失うことがありませんように。主を畏れる心を捨ててはいけません。 【短歌】 主を畏れ 日々いのち得る みことばは 皆さんのデボーションとして、下の句を考えてみましょう。
■2022年6月19日 日曜礼拝メッセージより(横路 満弘伝道師)
告白のことばのかおり up 2022.6.19
今日は、ダビデとゴリヤテとの戦いを見ていきたいと思います。 1、ダビデの告白と宣言(第1サムエル17:36〜37) ゴリヤテが「私と一騎打ちする者はいないか」と言いましたが、イスラエルの軍隊は皆恐れました。しかし、恐れない人が一人いました。それがダビデです。 ダビデは羊を飼い、サウル王に立琴を弾く仕事もしていました。ダビデの歌は詩篇にありますが、彼の信仰は素晴らしいものでした。 2、ゴリヤテへの告白と宣言の戦い(第1サムエル17:43〜47) ダビデはゴリヤテに勝る告白と大宣言をして、ダビデが言った通りになりました。ダビデは投石器で石を投げ、石はゴリヤテの額に命中し、ゴリヤテを倒しました。そしてイスラエルの軍隊が戦いに勝ったのです。 4、告白と宣言の力 神様は天地を言葉によって造られ、全てのことをみことばを通して成し遂げられる方です。(主題聖句 イザヤ55:11) 5、それでは私たちはどうすれば良いのか 6、祈り求めるだけでなく、その通りになると信じて告白する イエス様は、あなたが信じた通りになるようにと言われました。長血の女は、「衣のすそに触ったら癒される」と告白していました。そして、その通りになったのです。私たちも神様の約束のみことばを告白しましょう。そうすればその通りになるのです。 【参照聖句】(コロサイ3:16)
■2022年6月12日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
いのちに至らせる香り up 2022.6.12
今日のテーマは「いのちに至らせる香り」です。 みことばは(第2コリント2:15-16)です。この15節は今年のモットーでもあります。救われる人々、滅びる人々、どんな人がいようと、イエス・キリストを信じている者は神の前にかぐわしい香りの者であるということが強調されています。神様はあなたのことを「香りよき存在である」と言われ、喜んでおられるのです。 そして、16節には「ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。」とあります。あなたも私も、いのちに至らせる香りなのです。神様は私たちを良い者として、同じ良い香りを放つことの出来る人々を、あなたを通してみもとに引き寄せたいと願っておられます。それはどんな香りでしょうか。 ◆敬虔な生き方 ◎(箴言19:23) まず神に未来に対する信頼を置いて信仰を働かせる、そこには大きな希望があるということが内側に光のように輝いていく、そしてこの信仰と希望をもたらしてくださる神を愛して歩む、これが主を畏れて生きることです。 その人その人の成長の段階があるにしても、そのような敬虔な生き方が、神様にとって良き香りとなり、いのちに至る人々のための香りにもなるのです。 ◎(第1テモテ4:8) ◆不健全を解消する 「(50節)まことに、みことばは私を生かしてくださいます。」 また個人的に一人だけに、思いに与えられる方もいれば、聖書を読んでいる時にハッと何かが心に示されて、与えられることもあります。色々なかたちでそれぞれに関係するみことばを神様はお与えくださいます。 そして広く一般的に、ユダヤ人以外のすべての異邦人に語られたみことば(使徒11:18)があります。それは例外なく、あなたにも語られたみことばであることを受け止めてください。 ◎(使徒11:18) (使徒11:18)は、ローマの百人隊長コルネリオが救われて聖霊が降ったということを、ペテロが仲間たちに報告した時のことです。 このことばは異邦人のために語られています。あなたのために語られています。そのことばは「いのちに至る悔い改め」と紹介されています。 滅びの方向からいのちの方向へと、方向を転換する「いのちに至る悔い改め」が大事なことです。それを通して不健全さは解消されていき、良き香りを放つ歩みとなっていきます。 【デボーションポイント】 色々な宗教や教えがありますが、私たちは、イエス・キリストは父なる神が人となってこの世に来られ、私たちの罪を贖うために、その肉体をもって罪の赦しの代償を支払ってくださった、これこそ真の神の救いだと受け止めて今ここに集まっているわけです。 同じ理解と信仰をもっているからこそ、ここで語られる聖書のみことばは共通の理解できるものとして語られていると言えます。 ◎今年のみことば 自分の思いや感情、知識によらず、神様の真理のおことばを信じて、自分の存在をしっかり支えてください。隣のクリスチャンにも同じように思って差し上げてください。 あなたに語られているみことばを思い出しましょう。少なくとも、この二つのみことばは私たちの教会に語られたみことばですから、私たちに語られたことばとして、そのみことばが私たちに成就するようにと待ち望みましょう。 皆さんはどんなみことばを今日まで語っていただいたでしょうか。現在にいたるまでの人生の様々なところでみことばを示されたり、礼拝の中で語られる聖書を通して気付かされたり、御霊様があなたに語っておられるみことばを受け止めることこそ、聖霊なるみことばの神を受け止めて満たされることになるのです。 だから、思い起こしてください。そして、そのおことばに満たされてください。それが聖霊に満たされる具体的な証しです。あなたの心、魂に、みことばが残っているということが、聖霊の満たしの証しです。満たされた実は、みことば通りの人生の歩みの結果に現れて来るでしょう。 特にキリストの姿に変えられていくということに関しては、聖霊に満たされ、みことばに満たされることを個人的にチャレンジして体験していただきたいと思います。
【短歌】 永遠の いのちに至る みことばは 変わらぬ愛に 満たされること
■2022年6月5日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
神の息を受ける up 2022.6.5
今日はペンテコステ記念礼拝です。 ペンテコステ(五旬節)は、ユダヤ教の三大祭りの一つですが、新約聖書では使徒行伝の2章に、その五旬祭の日に起きた素晴らしい出来事が記されています。すなわち、信じる人々一人一人の内に、神様の霊である聖霊様が住んでくださり、霊、心、体にまで満たしを与えて、治めてくださり、調和のとれた霊と心と体を保たせてくださるのです。 今日は、「神の息を受ける」と題して、神の霊を受けるということがどんなに素晴らしいことであるかを、主題聖句(創世記2:7)からお話をさせていただきたいと思います。 ※神の息を受ける 地上の生き物の中で人間だけが、神からの息を吹き込まれるという方法で、いのちを与えられています。ここに、聖霊のバプテスマを受ける、聖霊に満たされるということの大切な意味が象徴として描かれています。 ※「神の息」 ◎(ヨハネ6:63) ことばは息と共に出ます。(創世記2:7)では、神様がアダムの顔面に息がかかるほどの近い距離で鼻に息を吹きこんでおられます。それは、ことばなる神様が顔と顔を合わせてアダムに何かおことばを語られたのでは、と想像いたします。 そしてアダムは、神様の息である「ことば」を受けて、霊の生きた者になったと理解する時、この(創世記2:7)の出来事と、イエス様の「私のことばは霊であり、いのちである」というおことばに、結びつきが見えて来るのではないでしょうか。 (マタイ4:4) ことばは息を吹きかけられていきます。アダムが生きた者になったのは、神の息を吹き込まれて、息に触れた、神のことばに触れた、そのことばは霊に触れた、というように、(ヨハネ6:63)の意味と(創世記2:7)の出来事とは、つながりが深いように思われます。 常に私たちは神の息を受けて、息のかかった一つ一つのことば(霊)を受けて、生きる者となる、これが本当の意味で私たちが生きる姿なのです。 ※息が吹き込まれた これが、罪人の私たちの内に神の霊が吹き込まれ、聖霊が私たちの内に宿るということです。 そのためには、罪の赦しが成就しなくてはなりません。ですからイエス様が私たちのすべての罪を十字架で処分してくださり、私たちは罪赦されて罪なき者のように見なされて、神様はご自分の聖なる霊を私たちの内に遣わされ、息を吹き込むことが出来る状態になりました。 イエス様を信じるということは、罪の赦しを受けて、神のことばである霊を持って生きることです。神様と親しい交わりの中で人生を送ることです。このために神は人を神の形に似せて造られ、神と交わりを持つことが出来る存在としてお造りになったのです。 本当の人間の在り方は「神との交わり」であり、これで初めて人は本当の生きる者となった、と神様は仰るわけです。 敬虔な人は神様のおことばを素直に受け入れて、そのおことばで心が養われる、即ちそれは神様との交わりを親しくしていくということを表しているわけです。 ◎(第1コリント1:9) 【デボーションポイント】 いのちの息である神のことばを信じ受け入れることが、聖霊に満たされることです。私たちの心に神のことばが入ってきた時、私たちの霊がへりくだってそれを受け入れるか、拒絶するか、それによって神のことばなる聖霊に満たされていくかどうかが決まります。 異言、預言、賛美は、内に聖霊に満たされたしるしであり、神のことばが私たちの内にあふれている状態です。それが口の言葉に表れて、自国の言葉であれば預言になり、それ以外の言葉であれば異言になります。賛美は、神様の愛を受け、救いを受け、感謝で神をほめたたえるという、そういう言葉が聖霊によってあふれてくるのです。 異言が出ないからといって聖霊の満たしを受けていないという意味ではありません。あなたの内に神のことばがあふれれば自然に出てくるものなのです。こころに満ちることを口は語ります。 神のことばであなたの知識を満たし、知識から心に入り、神のことばが心に宿ると、自然に神のことばが口からその時々に合わせて出てくるのです。 あなたが祈りの中で神のおことばを用いて祈るとき、それは内に神の霊を宿して祈っていることです。 暗唱聖句は悟りとなって心の中に入り、悟ったことを人は行動していくわけです。 メッセージで語られるみことばをよく黙想し、みことばで心が満たされることが聖霊の満たしにつながるということに目覚めて頂きたいと思います。 神のことば(息)が私たちの霊に吹き込まれるのです。その見えるかたちとして(創世記2:7)では「その鼻にいのちの息を吹き込まれた。」と表現されました。 いのちの息、それは神のことばです。そのことばは神の霊なのです。聖霊のバプテスマとは、神の霊に満たされること、神のことばに満たされることです。 神のことばに心が満たされると、いろんな状況や問題の時に、神のことばが出て来ます。そして内側に神のことば、聖霊様が満ちておられることを確信します。 大事なことは、神のことばが内側に満ちたら神のことばを語ること、神のことばを語るとは、そのように行動すること、即ち変えられるということです。 神のことばにより神の霊によってキリストの姿へと変えられていく、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていくのです。 みことばを満たし続けなければイエス様の姿に変えられていくことはできません。みことばは神の霊です。神のことばに満たされましょう。 【短歌】 みことばを 信じて受ける バプテスマ 神との交わり 聖霊の満たし
単なる現象としての異言を求めるバプテスマではなく、みことばを信じて受け入れることによって実現する神との交わりや聖霊の満たしを求めていきましょう。 大事なことは、みことばに満たされて、キリストと同じ姿に変えられていくことです。
■2022年5月29日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
御国を目指しー心に up 2022.5.29
今日は教会70周年を迎えて、『御国を目指し一心に』というテーマでお話を進めさせていただきます。テーマのみことばは(ピリピ3:14)、パウロ先生がピリピの教会に宛てた手紙の一節です。 罪人が罪のない神の国に入ることは、あり得ない不可能なことですが、それを可能にしてくださったのが、イエス様の十字架の贖いの御業です。イエス様は私たち一人一人の罪を背負い、私たちの身代わりに十字架でさばきを受けてくださったのです。 神様は、「あなたの罪を赦します。あなたの罪は、私のひとり子イエス・キリストが、十字架で、身代わりにその罪の処分を受けたので、彼を信じるなら、あなたの罪もそこで一緒に裁かれたこととみなして、あなたを罪なき者として私の国に迎え入れます。」という信仰の救いを私たちに用意してくださいました。 アダムとエバが罪を犯した時から、人類は、生まれながらに「罪人」でした。その刑の執行(永遠のさばき)が、キリストの再臨の時に実現します。それまでに救いのチャンスを、悔い改めて心を入れ替えて神の国に入るチャンスを神様が与えてくださった、というのが十字架の意味であり、イエス様の十字架刑における死の意味であります。 ですから私たちは常に、そのご恩を忘れないように神様に心から感謝します。そのご恩に報いるような日々を目指して一心に歩み続けます。 一心に走っているかどうか、それを計るのは神様だけです。神の前に一心に、神を畏れ神を愛する歩みを、皆さんと御一緒にこれからも続けて参りたいと思います。 毎週の礼拝もその一つの証しです。しなければならないのではなく、一心に走っている実として、皆で集って、神様を賛美したい、愛したい、御国に入りたい、そういう気持ちから一生懸命礼拝をお捧げしているのです。 今日は「70周年」の「7」という数字から、その意味を学んで、皆さんの信仰の励みとして頂きたいと思います。 ◎「7」という数字 神様は1日目から6日目まで働かれて7日目を休まれました。7日目の休みを含めて7日間を完成の一つの区切りとし、この休みの日を聖なる日と定められました。この日を私たちも神様を敬う日として礼拝に集うことを心掛けています。 (2)負荷は7年目に解放(出エジプト21:2) (レビ記25:4) そのように定められた神様との約束事でしたが、イスラエルの民はカナンの地に定着してから一度もそれを守りませんでした。そして、カナンの地の神々を崇拝していったのです。 神様の前に積み上げられた彼らの不信仰の罪のゆえに、彼らの国はアッシリア帝国とバビロン帝国によって滅ぼされ、多くの民が捕囚として連れ去られていきました。そうして70年という捕囚の期間、彼らの耕していたパレスチナの土地を神は休ませた、と聖書に記されています。 こうして旧約聖書の中に用いられる「7」という数字を見ますと、一区切りの数、時や条件が満ちること、重荷からの解放、という意味を読み解くことができます。 では、次に「70」という数字はどのように用いられているでしょうか。 ◎聖書に出てくる「70」 バビロン帝国によって最終的にイスラエルの国は全部滅ぼされ、人々は捕囚の民としてバビロンの地に移されました。しかし神様はエレミヤを通して「70年が終わったら、あなたがたを再び約束の地(パレスチナ)に連れ戻す」と語られました。70年経ったら、それまでの過去の罪はご破算にする、それだけでなく、もう一度約束の続きを守ろう、という神様のお計らいにより、ペルシャ帝国のクロス王が、捕囚のユダヤ人の帰還と神殿の再建の勅令を出すこととなりました。罪の償いの期間が終わった70年でした。 (2)過去を終わらせ、新たな始まり(ダニエル9:24) この「70週」は、イスラエルの償いの期間が終わるだけでなく、未来のことが告げられていて、イスラエルだけではない人類全体に対して語られた預言であります。 歴史という大きな時間の中で、「7」という数字の意味が10倍になっている、それほど大きなことが起きる、即ち、赦しと改革が行われる、過去を終わらせ新たな始まりが起きる、罪の償いの期間が完了し新しく始めることができる、という意味として、この「70」という数字が使われています。 【デボーションポイント】 しかし、罪の過去にひっぱられたクリスチャン生活は、しんどいものです。昔を思うたびに罪責感に襲われていたのでは、未来が薄暗くなります。 光に満ちた未来を神様が与えてくださる良いきっかけとして、70周年という時を、今のこの時に迎えることができるというのは、神様はこの日のために過去を計画しておられたと言えるかもしれません。 皆さん、今日から、過去は赦されました。忘れていいと思います。これからの70年を考えて、神の国を目指して一心に歩むということを御一緒に心掛けていきましょう。 そのために昨年から、「主を求める人々の群れ」を、サンビ教団のテーマとし、ビジョンとして新たに始めました。色んな地域にある地方教会を一つの群れ(教団)として進めていこうということですが、その大事なポイントとして二つのみことばをご紹介致します。 *主を求める群れとして 70年が終わりました。神様が私たちを新しくしてくださったのは、神の国に入るためです。新しく造りかえられたことと、神の国とその義を第一に求めるという、私たちの人生の指針を心にしっかり持って、天国を目指して歩んでいきましょう。 これは、今やっていることをすべてやめなさい、ということではありません。そのことは毎週のメッセージの中でも細かくお語りしておりますので、そこから気付いていただければと思います。 【短 歌】
■2022年5月22日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希伝道師)
初代教会にならう健全な信仰 up 2022.5.22
先日、ARK会とホーリーバイブルチャーチのJ path(20代のグループ)の交わりが持たれました。この交わりは、ARK会のメンバーが学生の頃に持っていた学生キャンプから、かれこれ10年以上続いています。今回のテーマは“終末の献身者”ということを掲げ、終わりの時代にクリスチャンとしてどのように生きていくかを再確認しました。
■2022年5月15日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
足跡に従う香り up 2022.5.15
今日のテーマは、「足跡に従う香り」です。イエス様と同じように歩んでいけば、それはキリストの香りを放っていることになる、ということを、(第1ペテロ2:19-21)からお話したいと思います。 (第1ペテロ2:19-21)の19節20節には、「それは、神に喜ばれることです」と記されています。ここは「神の前にかぐわしい香りです」というふうに考えることが出来ます。この御ことばから「イエス様を模範として従っていくことによる香り」を考えていこうと思います。 このみことばは、善を行ったために苦しみを受けても耐え忍ぶ、ということですから、ちょっと理不尽なことのように思われます。 しかし、イエス様の地上の人生は全くその通りの歩みでした。良いことを行っているのに、行えば行うほど世の指導者たちにねたまれて、中傷や悪意の噂を流されて、それでもイエス様は怒らず、報復せず、耐え忍び続けられました。今日はそういうところを、まず初めに見ていきましょう。 ◎善を行って苦しみを受ける (1)自分のことよりも隣人を優先する 「弱い人」というのは、理解の足らない人、精神的に感情的な人、道徳性に欠けた所のある人、社会的に軽んじられている人なども含めて、弱い人々です。 イエス様も私たちの弱さである罪を負って、十字架で罪の赦しのための贖いを、ご自分の命で負ってくださいました。 自分の利益ではありません。ひたすら相手の益を考えてのことです。 (2)従順を学ぶための多くの苦しみ イエス様が荒野で空腹に苦しまれたときも、「石をパンに変えてみよ」というサタンの誘惑に対し、自分を喜ばすために神のちからを使うことはされず、弱い人の弱さを担うために神様の御ちからを現わすという生き方をされました。 苦しむ人が少しでも楽になって救いに導かれて欲しいと、そのために多くの苦しみを受けても、どこまでも父なる神様に従順に従う、その模範を示してくださいました。 (3)真理のためにはずかしめを忍ぶ イエス様は十字架で暴言や嘲笑や、あらゆる辱めを受けられましたが、ここでイエス様が怒って十字架から降りてしまったら、私たちの救いは無くなります。私たちが救われることは、神様のご計画であり、神様の愛の真理の証しです。そのためにイエス様ははずかしめをものともせずに、十字架という最悪の苦しみにも耐え忍ばれたのです。 (4)罪人たちからの反抗を忍ぶ (5)正しくさばかれる方に任せる もし、自分は出来ない、自分には無理だと思うなら、ちょっと考えてみてください。私たちはいま何に望みを置いているのでしょうか。本当に、神様の約束のおことばを信じて歩んでいるでしょうか。 死後の世界があるのです。この体が死んで後、何が起こるかということを、私たちはイエス様の教えから教えられているので、神を畏れる心をもってこの地上でみことばに従って歩んでいるわけです。 死んでおしまいなら、善を行って苦しみを受けるなどという不合理なことは出来ません。永遠という世界を信じる者にとってこそ、それは価値あることなのです。 【デボーションポイント】 (エペソ1:17-19) ※聖霊の満たしを求め続ける ※心の目がはっきり見えるように ※神の召しによる望み、聖徒が相続する富、神の偉大な優れた力を知ることが重要 聖霊様に満たされて、心の目がはっきり見えるようになって、「神の召しによる望み」「聖徒が相続する富(御国の豊かさ、神様のご性質)」「神の偉大な優れた力(死者をよみがえらせる神の力)」この三つのことを知ってほしい、とパウロ先生の祈りは続いています。 私たちはイエス様の御跡に従うために、神様との関係において、まず聖霊様を心にお迎えして、心の目が開かれて、そして、神の召しによる望み、聖徒が相続する富、神の偉大な優れた力を知ることによって、苦しみを忍びつつ、善を行い続けるクリスチャン生活を続けて行っていただきたいと思います。 みことばの 真理に従う 苦しみは
皆さんは、みことばの真理に従う苦しみを、何にどのようにたとえられるでしょうか。
■2022年5月8日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
最初のキリストの香り up 2022.5.8
先週は、みことばを実行することを通してキリストの香りを放つ、というお話を致しました。 今日は、キリストを信じた時にクリスチャンが放つ「最初のキリストの香り」とはどういうものか、について(第2コリント5:17)からお話させていただきます。 ◎イエスを信じて最初に放つキリストの香り 生まれ変わった新しい自分、それは日々新しくされるという信仰の歩みでもありますから、それをぜひ目指していただくために、まずは聖書的な知識をもって、新しく生まれ変わったことに対する正しい心積もりを持っていただきたいと思います。 ◎信じる以前の香り(エペソ2:1-3) (1)罪過と罪との中で死んでいた香り 私たちもルールを破ることがありますが、「死んだ者」ではありません。なぜなら、その罪を悔い改めて、また、神のみおしえにチャレンジして生きていきますから、罪を犯すことがあっても「罪の中に死んだ者」ではないのです。 私たちはキリストの十字架による贖いの御業により、罪赦されて、やり直すことの出来るチャンスを神様に与えられているのです クリスチャンは何度も悔い改める必要はないという教えがありますが、確かに、最初に神に立ち返る回心の悔い改めは一度きりです。それは洗礼を受ける最初の悔い改めです。私たちは永遠の滅びから救われています。 しかし、その後のクリスチャン生活を送る中で、罪の性質によって、罪に負けて罪の中に沈み込んでいくということがあるのです。そうならないように、私たちは何度でも悔い改めて、心を入れ替えて、やり直す必要があります。イエス様も、罪の赦しを求める者には、7を70倍するほど赦しなさいと仰いました。 (2)この世の流れに従っていた (3)不従順の霊に従っていた (4)自分の肉の欲の中に生きていた (6)神の御怒りを受ける者 神様は、御怒り(さばき)を受けることがないように、愛とあわれみをもって、救いの方法を2千年前に成就されました。しかし、不敬虔を続けてキリストを信じないならば、神の御怒りをもろに受けることになります。 クリスチャンは神を畏れる正しい良心が眠ってしまわないように、罪に敏感に気付けるように、みことばをよく蓄えておきたいと思います。何をすべきか、何をすべきでないかを知識として持っておきたいと思います。 そうすれば、私たちの内に宿る聖霊様が、私たちを助け、励まし、支えて、気づかせて、神のみことばの中に歩むようにと、私たちを助けてくださいますから感謝します。 自分の意志の力だけでは私たちはルールを守りきることの出来ない弱いものですから、聖霊様の助けを受けることが出来るように、聖霊様に満たされることを願い求めていきましょう。 ◎新しい人生の香り (1)暗闇から光となった香り(エペソ5:8) (2)キリストの愛に生きる香り(ガラテヤ2:20) 「肉にあって生きている」とは、「肉体のからだの内に自分の霊が宿りながらこの世で生きている」という意味です。 「私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰」それはキリストの愛に生きる香りです。 「キリストは私の主、私を治める王の王」という、キリストの愛に生きる信仰、これがクリスチャン生活の初めに出てくる香りです。 「キリストの愛に生きる」という私たちの姿勢は、神様に喜ばれる香りとして御前に立ち上り、そして周りの人にも届いていくのです。 (3)真理による自由な生き方の香り(ガラテヤ5:13) 真理とは、神がおられるということ、それが真理の根本です。 私たちクリスチャンは、正義を行う自由も、罪を犯す自由も持っています。しかし私たちは、神様のみこころである正義を願っているので、罪を犯さないようにします。 私たちは罪の力からも欲望の力からも解放されているのです。 クリスチャンが貪欲に肉を喜ばせるようなことを行う時、神様は忍耐をもってそれを見守られます。それは、私たちが罪に気付き、悔い改めて自分から方向転換するのを願っておられるからです。 それでも私たちが油断して罪を犯し続けて、罪の実を刈り取ることになっても、そこで気付いて悔い改めてほしいと、神様は私たちが真の悔い改めに至るようにと導いておられます。 (4)神に似せて新しくされた香り(コロサイ3:10) 少しでも神様のかたちが現れるような、そういう生き方や語り方、考え方が、イエス様を信じてから段々出てきます。 新しく生まれ変わる、新しく創造される、造りなおされる、これがクリスチャンから放たれるキリストの最初の香りです。 【デボーションポイント】 新しく生まれ変わったことを自分で評価してみましょう。 ヒント (第1コリント15:33) 自分がよく接する人々に不敬虔な人が多いとか、テレビやパソコンから不敬虔な世界の情報に接することが多いとか、そうすると良い習慣(神を敬う心)が損なわれることがあります。 クリスチャンとの交わりを多くし、またクリスチャンのためのテレビ番組やネット情報に親しむなどして助けを得ながら、「私は生まれ変わって神の子としての歩みをしている」という自覚をしっかり持っていきましょう。
【俳句】 新生の 香り漂う 笑顔かな
新緑の季節に、新緑の香りが漂っています。 新しく生まれ変わった神の子としての新しい人生の歩みの日々、皆さんの自然な笑顔の中に、新生の喜びが香りのように漂っているようです。
■2022年5月1日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
みことばの香り up 2022.5.1
5月と言えばバラの美しい季節です。バラの魅力といえば、かぐわましい香りですね。バラの花はその香りによって誰からも深く愛され、アロマセラピー(芳香療法)にも用いられてきました。 同じように信仰も、心の中に持っているだけではなく、行いという香りが放たれてこそ、生きた信仰を表すことが出来るとヤコブは私たちに教えています。 ○みことばの実行がキリストの香り ○ことばなる神であるキリスト ことばなる神キリストの香りを放つとは、私たちがキリストの「神のことば」を実行することによって、香りのようにキリストが人々に伝わることです。どのような香りとして人に受け止められても、神様はかぐわしい香りだと言ってくださることが、今年のテーマのみことばに記されています。 (2)ヤコブ2:16-17 (3)ヤコブ1:22 ○みことばの香りを放て みことばを行うことは難しいものです。しかし、みことばを100%実行出来ていなければ駄目だと勘違いしないでください。律法主義は、全部行うことを要求し、一つの違反も許しませんが、神の恵みの律法は、一つ一つ律法を守るということの方が大事であることを強調しています。 デボーションポイント そのように、いつの間にか行動しているというみことばを見つけていただきたいのです。どのみことばの香りを放っているでしょうか。 【例】 私たちは神の国の者であり、父なる神によって生まれた神の子です。御父はあわれみ深い方ですから、御父のご性質を継承する子孫として、私たちもあわれみ深くしなさい、とイエス様は仰っています。 良きサマリヤ人は、計算も雑念もなく、唯々いのちを助けたいと思う救済の情熱から、出来る限りを尽くして親切を施しました。 そのように、あなたがたも困っている人の隣人となりなさい、とイエス様は勧めておられます。あわれみ深くすることへのチャレンジをされてみてはいかがでしょうか。 (エペソ4:32) 以上、二つの例を挙げてみました。これ以外にも、みなさんがチャレンジしているみことば、身に付いているみことばがあれば、それを続けて益々香りを放つ方向へと進んでいって頂きたいと思います。
【俳句】 キリストの いやしの香り みことばに |